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東京高等裁判所 昭和56年(ラ)907号 決定

抗告人

鈴木太郎

右代理人

中山貞愛

抗告人

甲野一夫

右代理人

新里秀範

事件本人

甲野花子

主文

原審判を取り消す。

本件は、抗告人甲野一夫が昭和五六年六月二九日した申立て取下げにより終了した。

理由

第一抗告の趣旨及び理由

抗告人甲野一夫の抗告の趣旨は、主文同旨の裁判を求めるというにあり、抗告人鈴木太郎の抗告の趣旨は、「原審判を取り消す。本件を静岡家庭裁判所に差し戻す旨の裁判を求める。」というにある。

而して抗告の理由は、抗告人甲野においては、「抗告人甲野は、一旦事件本人に対する禁治産宣告の申立てをしたが昭和五六年六月二九日右申立てを取り下げた。然るに原審裁判所は右取下げを認めず事件本人に対する禁治産宣告をなした。然しながら、禁治産宣告が公益に関するものであつて申立人の利益のみを考慮するものでないとしても、申立ての取下げを認めるべきでないとする必然性はなく、申立ての取下げを認めても、検察官に申立権がある以上公益性は担保されているから、申立人による任意の取下げを認めるべきであるのに、原審裁判所が取下げを認めず事件本人に対し禁治産宣告をなしたのは違法である。」というのであり、抗告人鈴木太郎においては、「事件本人は現在抗告人鈴木の許に引き取られて静養しつつ静岡中央病院に通院治療を続けているが、心身共に極めて良好な状況にあつて、心身喪失の常況にはない。事件本人の長男英樹の将来において受ける衝撃、苦痛を考えると、事件本人に対する禁治産宣告は百害あつて一利のないものである。原審判を速かに取り消されたい。」というのである。

第二当裁判所の判断

一そこで一件記録を調べてみると、本件は、事件本人の夫たる抗告人甲野一夫の申立てにより立件されたものであるが、右抗告人は昭和五六年六月二九日本件申立ての取下書を原審裁判所へ提出したこと、抗告人甲野は事件本人が心神喪失の常況にあつて、同人との婚姻関係が全く形骸化するに至つたので、離婚をする前手続として、事件本人に対する禁治産宣告を得るため本件申立てをしたものであるが、現に事件本人を日常監護している同人の実父である抗告人鈴木が、万一事件本人に対する禁治産宣告が維持されると、抗告人甲野と事件本人との子一郎の将来における就職や結婚の障害になるので、本件申立てを取り下げてほしいと要望しているので、その心情を諒として本件申立ての取下げをする旨取下げの理由を開陳していること、抗告人鈴木の右要望が、今後とも同抗告人が一郎ともども事件本人に対する保護を続けていくことを前提とするものであることは自明であり、抗告人甲野が本件申立てを取り下げたのも、この際は事件本人との離婚を控え、事実上の別居に止め、事件本人については、挙げて抗告人鈴木の保護に委ねようとする所存であること、しかし原審裁判所は、本件では取下げは認められないとして審判手続をすすめ、同年九月一四日事件本人に対する禁治産宣告をなしたことが認められるので、まず、申立て取下げの可否について判断する。

二およそ家事審判事件に関する申立ての取下げについては、家事審判法(家事審判規則も含む)並びに同法七条により審判に関し準用するものと定められた非訟事件手続法第一編に何らの明文の規定も存しないので、専ら解釈にまつほかないが、家事審判事件はその内容の幅は広く、且つ、当事者、手続形態、事件の性質等にも差異があるので、一概に対立当事者の存在を前提としその間の権利関係の紛争解決を目的とする手続法である民訴法を準用して申立ての取下げは当然なし得るものとすることはできず、要は各審判事件の性質、内容、申立権が認められた理由等を勘案して判断しなければならないところのものである。

三かかる見地に立つて本件を検討するに、

(1)  禁治産宣告審判事件において家庭裁判所がする禁治産宣告の制度は、いわゆる無能力者制度の一環として、社会生活において自らの行為の結果につき合理的な判断をすることができない本人、すなわち民法七条にいう「心神喪失ノ常況ニ在ル者」が単独で行為することによつてみだりに財産を喪失しないようにし、他方、禁治産宣告を公示することによつて本人と取引をする相手方に警戒をさせようとするものであり、約言すれば、本人の保護と取引の安全を企図するものであるが、取引の相手方にとつて、本人が禁治産者であるかどうかを調査することは必らずしも容易なことではなく、また、調査自体取引の迅速を妨げるため、この制度は、窮極的には、社会一般人の利益を犠牲にして本人を保護することに帰することは一般に指摘されているとおりである。このような制度の趣旨に照らすと、配偶者、親族等のうちに適当な監護者がいて本人を日常監護することができ、しかも本人の所有財産について適切な管理、処分を行うことができ、これにより本人の利益が保護されるとともに、社会一般人にも迷惑をおよぼすおそれのない場合にまで、敢えて本人を禁治産者とする必要はないものである。

(2)  そして、民法七条が禁治産宣告の申立てをすることを本人、配偶者、四親等内の親族、後見人、保佐人の権利として規定し、義務とはしていないこと、家庭裁判所が心神喪失の常況にある者に対して禁治産宣告をするのは必ず右法定の申立権利者の申立てに基づくことを要し職権ではなし得ないとしていることは、本人について禁治産宣告を得るかどうかを右法定の申立権利者の前示のような事情を踏まえた判断に委ね、これらの者が本人の保護のため法制度を利用することなく、自主的な監護と財産の管理、処分(いわば「自主的保護」)でことを処理しようとする等禁治産宣告を欲しない場合には、国家が積極的に介入することはせず、禁治産宣告の申立てをもつぱら右法定の申立権利者の自由としたものにほかならない。このような民法七条の規定の趣旨に鑑みると、右法定の申立権利者が一旦は本人をして禁治産宣告を受けしめ、その制度によつて本人を保護するのが相当であるとして右宣告の申立てをした後に、右申立てを取り下げることは右申立権利者の自由に属することであり、したがつて、家庭裁判所としては、右取下げによつて事件は終了したものと取り扱うのが相当であり、もとより手続上、右申立ての取下げに理由を付することは必要でないというべきである。

(3)  民法七条が検察官に禁治産宣告の申立権を与えていることは、右のような解釈を採る妨げにはならない。蓋し、同条が、検察官に禁治産宣告の申立権を与えているのは、勿論無能力者制度そのものが前示のとおり公益に関連しているものであるからではある(すなわち、検察官によつて代表される国家が事件本人に対して利害関係を有するとか、検察官が実体上の権利義務を有するというような事由に基づくものではない。)が、禁治産制度が格別に公益性の強いものであるからというのではなく、むしろ、配偶者、四親等内の親族、後見人、保佐人が存在せず、また存在しても本人を禁治産者とすべき客観的な必要性があるのに拘らず、これらの者あるいは本人が申立てをなさない場合に備えて補充的に認めたものであると解されるのであり、このことは、検察官を申立権利者の最後に掲げている民法七条の規定の体裁からも窺い知ることができるからである。換言すれば、配偶者、四親等内の親族、後見人、保佐人がいる場合における当該法定の申立権利者(更に本人を含む。)と検察官の関係は、右申立権利者が申立てをすることも、右申立てを取り下げることも自由であり、ただ、本人を禁治産者とすべき客観的必要性があるのに拘わらず右申立権利者の申立てをせず、あるいは一旦なした申立てを取り下げてしまつた場合に、検察官において申立てをすることができるにすぎないものと解すべきである。

(4)  以上の次第であるから、本件は抗告人甲野がした取下げにより終了したものというべく、右取下げが無効であるとして事件本人に対する禁治産宣告をなした原審判は、失当として取消しを免れない。抗告人甲野の抗告は理由があり、抗告人鈴木太郎の抗告も結局理由がある。

四よつて原審判を取消し、本件は抗告人甲野の申立て取下げによつて終了した旨宣告することとして、主文のとおり決定する。

(蕪山厳 浅香恒久 安國種彦)

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